「令和4年度 東京郷友連盟通常総会」会長挨拶

 今日ここに3年ぶりに「対面しての通常総会」を開催できますことは、真に慶賀に耐えないところであり、役員はじめ会員皆々様の御尽力に心から敬意と感謝を表します。
 丸2年以上にわたるコロナ禍の蔓延はようやく収束に近づいた趣ですが、未だ油断は禁物で、マスク着用や手洗いの励行、密回避のために必要なソーシャルディスタンスの保持、高齢者のワクチン接種など必要な対応を実行して、会員一同元気に郷友活動を続けて参りたいと念ずる次第です。

さて、本年2月24日に開始されたロシア軍によるウクライナ侵攻は、本日6月1日で97日目を迎え依然継続中です。
 隣国ロシアによる暴挙は我国国民の国防に対する関心をかってないほど高め、危機意識が強まっています。それはSNSによる国民の反応・意識の高まりに顕著です。ただ岸田総理の「国際社会と足並みをそろえる」との姿勢には些か不満が残るところです。

 これにより、次のような我が国の防衛力の抜本的強化のための提言・構想策定等の動きが出てきています。
・ロシアに対する基本戦略や抑止力の抜本的見直し(ロシアを脅威と認識する)
・GDP2%を目標とする防衛費の増額(これは達成時期が議論の焦点)
・「敵基地攻撃能力」から「反撃能力」の保持へ、及び「非核3原則見直しの必要性」の検討、等々です。
 日本の政治は、「見ざる、聞かざる、言わざる、考えざる」といった、深刻な「日本病」に陥っています。「明日は我が身」と考え真剣な議論しなければならないのです。
 将に、「自分の国は自分で守る」との意識と能力を持たなければならない時を迎えていると言えましょう。

 就中、施行から75年を迎えた憲法の改正については、本来「前文や9条をどう変えるか」という議論は勿論重要ですが、これを機会に「日本の国の在り方をどう考えたらよいのか」という議論がもっと起こっていいのではないでしょうか。
 2018年に自民党が提案した「憲法第9条2項に自衛隊の根拠規定を明記する」という論議が、今再び動きを始める兆しが見られます。
 現に、改憲に前向きな勢力は、衆院の4分の3、参院の3分の2以上を占めており、与党がこの夏の参院選に勝てば、衆院を解散しない限り次の参院選の行われる25年夏まで「黄金の3年」が得られることになります。24年の総裁任期満了まででも2年あり、改憲の道筋をつける好機となり得ます。
 世論調査(22年読売新聞社)によれば、「憲法で改正する方がよいもの」の1位は「自衛のための軍隊保持」が45%、「緊急事態への対応」が38%で2位となっています。
 また、憲法審査会も順当に開催され活発化の期待が高く、その議論は緊急事態条項が本命視されています(「憲法を改正し政府の責務や権限を明記する」が55%、「個別の法律で対応する」が42%)が、今般のロシアのウクライナ侵攻を受け、保守派からは「今こそ9条の議論をしてもらいたい」との声が出ています。 

しかしながら、これに抵抗する主張、考え方も依然として根強く存在します。
  与党の主張は、「現行9条の下で集団的自衛権の行使まで一部認めてしまった以上、自衛権の行使に制約があるとは考えず、急ぎ9条を改正する必要は低い。ただ自衛権の範囲についてはきちんと議論しておいた方が良い」というもので、「台湾有事の際の日米の役割については、作戦計画段階で具体的なオペレーションに落とし込んだ議論を、また自衛のための反撃力をどこまで持つかは憲法の議論ではなく具体的に装備体系をどうするかという話だ」としています。 

 また、一部には「内閣を規定する憲法72条に自衛隊を書き込む案」が検討されたこともあります。即ち、総理大臣の権限は「内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し並びに行政各部を指導監督する」ものであり、この行政各部に自衛隊を明記すれば自衛隊の根拠を定める(自衛隊を行政組織の一部として扱う)ことが出来るという考え方です。

 そもそも改憲を党是とする政権政党内に、「自衛隊は既に国民に認められており、苦労して改憲しなくともよいではないか」と考える人が大勢いる(「まあいいんじゃない保守」の存在)、それが議論の進まない最大原因ともいわれます。

 一般の国民には、国の最大の責任は国民の生命と財産、領土・領海・領空と主権を守ることにあり、そのための実力組織として自衛隊を憲法に明記することの重要性は理解されています。また、憲法が9条で専守防衛をうたうが有事にあたりどのように国民を守るかを定めた「国防規定」がないことも理解されています(読売新聞の世論調査によれば、憲法を改正して権限に関する規定を明記するが55%)。
 この際、自由・民主主義・人権・法の支配という、国際社会の普遍的価値観に基づく評価に止まらず、わが国の歴史・伝統・文化といった日本人的価値観に基づく評価を大事にしなければならないと考えます。 

戦力の不保持などを定めた9条2項の改正賛成派が増えたのも、ウクライナ情勢や、中国、北朝鮮の軍事的脅威を踏まえ、解釈や運用では限界だという思いが強まったからでありましょう。
 9条2項を変えたからといって日本の防衛力が高まるわけではありませんが、憲法に自衛隊を位置付ける意義は大きく、日本の政治に改革能力があると示すこともまた、抑止力になりうると考えます。
 自衛隊は国家機関ではなく政府・行政の一省・一機関に過ぎなく、他方いわゆる国軍は政府機関ではなく国家機関なのです。自衛官に対する不当な差別もあります。自衛隊に名誉を与える憲法改正を是非成し遂げなければならないと思います。

 このような状況下にあって、今後の東京郷友連盟の活動の在り方、言い替えれば持続可能な郷友活動を続けるための必要性と可能性の検討について、基本的には、@主として具体的な目標を掲げた個々の活動により、直接的な効果を期待するやり方、あるいはA構成員たる個々の会員が保有する社会的な影響力により、間接的な効果を期待するやり方があると考えます。

 連盟の実情(会員数、会員の年齢・素養、活動資金等)からして、例えば街頭講演、行進、署名活動、陳情等のような行動による@の直接的な効果の追及には些か困難があり、精々歴史・防衛講座等の講師の選定・依頼や現地研修等の研修先・研修内容の計画、機関誌の発行などに際して可能な範囲で主体性・自主性の保持に努めるとして、畢竟Aの間接的な効果の追及により、相応の役割を果たさざるを得ないと考えます。

 そのためには、限りある数の会員一人一人がその識能(知識、技能)を向上させ、社会的影響力(感化力や普及力)を強化して、周辺の人々(一般の国民)に接触し、語り掛け、説明し説得して、納得させることが必須の要件となりましょう。
 会員は「一騎当千の強者」でありたい、役員会等の集まりは「楽しくも厳しい道場」であり、「サロン化」してはならないと自戒するところです。

 「何人を以ってこの局に当らしむるも、決して他策なかりを信じて」(明治時代の外務大臣陸奥宗光、蹇蹇録)、「一燈を提げて暗夜を行く、暗夜を憂うるなかれ、只一燈を頼め。」(江戸時代の儒学者 佐藤一斎、言志晩録)の心境に思いを致しつつ、日々愚直に実践活動を続けて行くしかないと思っています。

 我々東京郷友連盟の会員は、国民の魂に火を点ける人間でなければなりません。そうありたいと思います。たとえ国民の心が眠っていても強い情熱で覚まさせる。一旦彼らの魂に火を点けられればその炎は簡単には消えることはないのです。
 その火を点けさせるためには自分自身が燃えていなくて、どうして他人に火を点けてやれるでしょうか。ただの情熱なら誰にでもあるのです。我々に必要なのは、それが燃えるような熱い情熱でなければならないのです。

このような気持ちを持ち続けながら、今後とも実践活動を続けていきたいと思っています。

令和4年6月1日



日本的価値観―「敬天愛人」にみる「和魂」

明けましておめでとうございます。

年頭にあたり、謹んで上皇陛下と上皇后陛下のご健勝と、天皇皇后両陛下と皇室の弥栄を、切にお祈り申し上げますとともに、わが東京郷友連盟の会員諸兄姉および本誌の読者各位、並びに平素ご支援ご協力をいただいている皆様方にとって、本年が明るい幸せ多い年となることを祈念いたします。

 令和三年は年初から、新型コロナウイルスの感染蔓延に伴い、その対応に明け暮れして一年があっという間に過ぎてしまう様な状況でありました。ほぼ通年にわたる緊急事態宣言等の発令にも拘わらず、今なお、収束の見通しは立たず、依然として予断を許さない状況が続いています。
 この間、我が東京郷友連盟の活動も大きな制約を被り、月々の役員会も年度の総会も、歴史・防衛講座、防衛現地研修、英霊顕彰行事等々大半の事業行事を中止あるいは延期せざるを得ない状況が続きました。
 そんな中、連日猛暑の夏日、加えてコロナ禍対応のため、お盆の帰省どころか日々の外出もままならず、冷房を効かせた自宅でひたすらに東京五輪を観戦していましたが、ふと日本人選手の活躍に心躍らせている自分に気付いたのは、日本人たる所以なのでしょうか。
 たかが五輪されど五輪なのでしょうが、健闘する日本人選手に日本人の心を思い、日本人の大事にしてきた良心・価値観は何か、あらためて考えて見たいと思ったのです。

 コロナ禍下にあって、元々読書好きの私が読んだ数多くの本の中で、『代表的日本人』(内村鑑三著)が、奔流のように押し寄せる西欧文化の中で、どのような日本人として生きるべきかを模索した、日本の心を体現している人物として選ばれている五人のうち、西郷隆盛に心が惹かれ着目してみました。
 随分昔のことになりましたが、私が自衛隊地方連絡部長(現地方協力本部長)として勤務した鹿児島では、当然ながら西郷隆盛は郷里の大英雄であり、随所にゆかりの地があります。西南戦争終焉の地、西郷隆盛の最後の地として有名な城山があり、その展望台に立てば鹿児島市内、錦江湾・桜島の雄大な風景を楽しむことができます。その裏側中腹付近に「西郷洞窟」という市内観光バスも止まる観光名所があり、そこは最後の最期まで西郷隆盛以下薩軍首脳が立てこもった洞窟なのです。なんと、私と家族の宿舎(民間マンションの借り上げ)は、その洞窟から100mくらいしか離れていないところにありました。
 また、宿舎から坂道を下ったところに、城山を潜り抜けたJR日豊本線のトンネルがあり、そのアーチ形をした出口の上部壁面に「敬天愛人」の大きな四文字が見えます。意識すると否とを問わず、朝な夕なの通勤や買い物等いつも西郷隆盛を思い出さないわけにはいかない環境にありました。
 そのようなわけで、内村鑑三が「代表的日本人」の第一として選んだ西郷隆盛の「敬天愛人」にみる価値観から「日本的価値観」について考えて見ることにしました。

 西郷隆盛の「敬天愛人」には、「天を意識し人類を超越した何かを大事にした」という思いが込められ、西郷の残した言葉を見ると、「利己」と「利他」を明確に区別し、私心を徹底的に排し他者や公に尽くすことの大切さを説いています。
 ・西郷は、「天」と、その法と、その機会を信じました。 
  「天の道を行う者は、天下こぞって謗っても屈しない。その名を天下こぞって褒めても奢らない」、
  「天を相手にせよ。人を相手にするな。すべてを天のためになせ。人を咎めず。ただ自分の誠の不足をかえりみよ」
  「法は宇宙のものであり自然である。ゆえに天を畏れ、これに仕えることをもって目的とする者のみが法を実行することができる。・・・天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」
 ・西郷は、常に自己自身をも信じる人(完全な自己否定の人)でした。
  「命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物であり、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である」
 ・「敬天」の人は、正義を敬し、それを実行する人にならざるを得ないのです。
  「正道を歩み、正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、外国と満足できる交際は期待できない。その強大を恐れ、和平を乞い、みじめにもその意に従うならば、ただちに外国の侮辱を招く。その結果、友好的な関係は終わりを告げ、最後には外国につかえることになる」
 「敬天愛人」にみる価値観は、明治時代の和魂洋才に言う「和魂」であり、日本人が大切にしてきた価値観であり、将来世代に継承していきたい価値観であると思います。

 「仁徳」という「和魂」。日本人の心の根底には利他心や思いやりという「仁徳」があります。自らの胎の中に「仁徳」が内在化され、それが確固たる行動の信念となり、利他的に行動することにつながっています(私事から離れ正しさを求める精神、結果ではなく動機が大事)。
 孔子が説いた儒教の精神、理想国家は太古の昔から皇室という形で我が国に根付いており、天皇の「徳」の実践こそが理想国家の体現足り得るものであり、私心を排し国民のために祈りを尽くす天皇は、日本人が理想とする人物の原型であると言えましょう。  

「仁徳」といった日本人が古来自然に持っている「良心」が、日本を日本たらしめるものであり、またこれらを育んだ万世一系の皇室を守ることこそが、日本の心を守ることになる。万世一系の皇室を持つ日本の歴史の特殊性こそが日本人の価値観と言えましょう。

 日本人が持つ内在化された「良心」を日本人自身が自覚し自己評価し、それを磨いていくことが大切です。しかしながら、日本人自身が日本の素晴らしさ(日本文化の柔軟性・多様性・寛容性、日本人の謙虚さ・礼儀正しさ・清潔、治安の良さ等)に気付いていない。
 国際社会における日本の立ち位置が問われている今こそ、「日本の価値観」を検討することが大事であり、日本人自身が自国の素晴らしさを世界に示すことで文化面でのリーダー的存在を目指すべきであります。

 「東京裁判史観の払拭」、「戦後レジームからの脱却」が未だに出来ていない現代日本には、歴史認識の根本をぶっつけ合うような議論の場が必要ではないでしょうか。
 我々日本人が日本人とは何かということを深く理解し、その上で明治維新、大東亜戦争の敗戦でどのように変遷したのか、日本社会として総括しなければならない時期に来ていると思います。
  かつて「国體」と呼んだ国家としての原理(国家理念・ビジョン)について、多くの人が議論すべきではないか。明治開国期に国家の原理として大事にされた和魂洋才の精神が重要ですが、現在の日本には和魂はないのではないか。
  和魂を守るために欧米的な考えや手法を学ぶことは必要だが、洋才を取り入れることによっていつの間にか洋魂になってしまっていないか。国が滅んでも和魂を守るのか、和魂を失ってでも国を存続させるのかという根本的な議論も必要でありましょう。

 結局、国民自身がどういう国に住みたいかという価値判断が重要であり、このままでは精神が物質主義に凌駕され、誇れるような日本がなくなってしまうことへの危機感がある。物質的豊かさの中でおろそかにされている日本のこころを再確認すべきです。目に見えないものを受け継いで人が育まれ、歴史が作られていくのであり、人間は利己的な人間から感化されることはなく、利他的な人間から感化されることを忘れてはならないのです。

 我々は、このような「日本的価値観」をよく理解・咀嚼し、社会の在り方の変化や動きに柔軟に対応しつつ、郷友活動の場の充実発展を図り、わが国の在るべき姿、美しい日本人の心を求めていきたいと思います。

 本年も、東京郷友連盟は、総力を挙げて郷友理念の達成を目指して努力を続けて参ります。どうか今後とも、絶大なご支援ご協力を賜りますよう切にお願い申し上げる次第です。

「機関誌『わたし達の防衛講座 令和4年』巻頭言」


令和3年度通常総会会長挨拶(要旨)

昨年年初から続いているコロナ禍は依然とし収束を見ず、今後ともその影響が続くものとみられている。
そのため、昨年度は東京郷友連盟もその活動に大きな制約を受け、当初の目標を達成できない状況で新年度を迎えることとなった。
 このような中で本年度の活動を計画することになったが、憲法改正の動きは殆ど停滞し先の見通しも立たず、また現下の厳しい安全保障環境にもかかわらず国の守りに必要な措置も遅々として整備されない状況にある。

 かかる状況は、一義的にコロナ禍に起因するものとは言えず、それは現代に生きる日本人の意識に起因しているものと考えざるを得ない。
 もはや「戦後レジームからの脱却」「自虐的な歴史認識の克服」という視点のみでは解明できない、その後遺症とも見るべき「不寛容、行き過ぎた権利意識、独善的正義の蔓延」をもたらしている現下の国民の意識(国家観)にその因があると考える。

 賢者は曰く「(民主主義の)現世を構成している者が生者だけというのは、とんでもない思い違いである。伝統とはあらゆる階級のうち最も陽の目を見ない階級、我らが祖先に投票権を与えることを意味する(死者の民主主義という)。
 生者は死者の声を聴きながら生きる、そういう観念を失ってはならない。」

 私という存在は、祖先に発して曹祖父母、祖父母、父母を経てつながる長い血脈(道程つまりは伝統)の中に生きる一人の旅人である。
 意識するとしないに係わらず、おそらく多くの人々は、限りある個々の人間の人生が代々と続く血脈の中に在る、そのこと即ち伝統を「万世一系」の天皇家の歴史の中に感じている。

 このことに思いを致しながら、我々は「誇りある日本の再生を目指す」郷友連盟の理念を追求するため、今までに増した創意と工夫の下、「国防思想の普及」「英霊の顕彰及び殉職自衛隊員の慰霊」「歴史伝統の継承」に係わる事業の地道な実践を続けなければならないと思う。

 具体的には、三大事業である「歴史・防衛講座」「防衛現地研修」「英霊の慰霊行事」に可能な範囲で積極的に取り組むと共に、従来どちらかというと付随的、補助的な事業としていた「歴史伝統継承行事」を拡充し、独自事業の一つとして計画実施することとしたい。

 この際、「走る自転車は倒れない」と言われるように、事業・行事を積極的に継続実施することこそが、新たな会員を獲得して会勢の充実を図る途であることを肝に銘じて、全会員が少なくとも一人以上の知人・友人を入会させることを目標として、会長以下全集中で努力して参りたい。

 なお、東京郷友連盟は令和5年に創立70周年の節目を迎える。
 そこで、平成25年に実施した60周年記念行事を参考として、どのような形で記念となる節目を迎えるべきかについて、今後検討を進めて参りたい。
 会員各位のご支援、ご協力をお願いする。

令和3年6月1日


 

「転んでもただでは起きない=コロナ禍対応に学ぶ=」 

明けましておめでとうございます。

年頭にあたり、謹んで上皇陛下上皇后陛下のご健勝と、天皇皇后両陛下と皇室の弥栄を、切にお祈り申し上げますとともに、わが東京郷友連盟の会員諸兄姉および本誌の読者各位、並びに平素ご支援ご協力をいただいている皆様方にとって、本年が明るい幸せ多い年となることを祈念いたします。

 令和2年は2月初め頃以降、中国発と見られる新型コロナウイルスの感染が日本国内や全世界中に蔓延して、その対応に明け暮れして一年があっという間に過ぎてしまう様な状況でありました。
 今なお、依然としてその感染状況の行方は予断を許さず、今後の情勢の変化に応じて柔軟に対処できる準備を整えておく必要があります。
 この間、我が東京郷友連盟の活動も大きな制約を被り、月々の役員会も年度の総会も、歴史・防衛講座、防衛現地研修、英霊顕彰行事等々大半の事業行事を中止あるいは延期にせざるを得ない状況が続きました。

またようやく具体化する兆しが見え始めていた憲法改正の動きが全く停滞を余儀なくされ、先の見通しが立たない状況に陥っているのは誠に遺憾に耐えない所です。
 しかしながら、このコロナ禍への対応を「ピンチはチャンス」として、教訓となし得る事項を探り、今後の資とすることは大変大事なことであります。
 依って、各界で分析、主張されてきた数々の知見の中から、我々が今後郷友活動を推進するにあたりバックグラウンドとして理解し認識しておくべき事項を整理して参考に供したいと思います。

コロナ禍による社会の在り方の変化

都市は「密集」が前提であり、人間の喜びの多くは他人と接触することにあった。接触や密集が困難になることは文化の危機に直結する。一方で、直接顔をつきあわせなくとも、他人とつながることが可能になるテレワーク、遠隔診療、オンライン講義等の仕組みが飛躍的に普及するであろう。

 それでも人間は、すぐ近くで人と会っていたいと思う生き物であり、会いたいと思う人と会った時の、わくわくする「ライブ感覚」の価値は現在より高まっていくはずだ。
 コロナ後の社会は、人との距離感が遥かに洗練されたものになっていくと思われる。幸せな人生を生きる上で、その面会に意味があるのかという「接触のクオリティー」が大切になってくる。

コロナ後のデジタル革命

・コロナ禍が収束しても、元の世界は戻ってこない。新型コロナの問題はウイルスだけの問題ではなく、民主主義、国際機関、社会システム、自然環境との関係、人の生き方等全体の問題と考えなければならない。
 コロナ禍は、日本社会の在り方を変える絶好の機会かもしれない。今回の様々な経験が人々の考え方に大きな影響を与えることは間違いない。日本人の働き方や生活様式に劇的な変革が起きている可能性がある。

・コロナ後で大事なことは、社会をコロナ前の状態にもどすのではなく進化させることである。世界で起きている構造変化は加速する。世界は元には戻らないという前提で日本も対応を考えなければならない。その一つはデジタル化の加速で、例えばソーシャルディスタンス(社会的距離)やサ−ビスの非接触化はデジタル化につながる。日本は世界に追いつく必要がある。この際、デジタル化が進む中、自由と民主主義、法の支配という価値観を共有する西側諸国との連携をどう再構築するかが課題となる。

グローバル化とその脆弱性

・グローバル化とはヒト、モノ、カネ、情報の国境を越えた自由移動が盛んになる現象をいう。1971年の金・ドル交換停止(いわゆるニクソン・ショック)により、さらに1973年に固定から変動相場制に移りカネの移動の制限が解除され、生産コストの安い外国に工場を作って生産し自国に輸入するようになり、この過程を容易にするために自由貿易協定が結ばれモノの移動が促進され、カネとモノが動くのに合わせてヒトが動くようになったことによる。

・グローバル化による国際分業体制は効率が非常に高い一方、大きな脆弱性を生み、それがコロナ禍で暴かれた。企業の「無駄」が徹底して排除された結果、安全装置としての代替生産能力がなくなり、一部医療分野での国際供給体制が危機にさらされた。また、各国が国境を封鎖し国外に滞在する自国民に帰国を促した。その背景には「外国人恐怖」と、護るのは祖国という「露骨なナショナリズム」がある。更にコロナ禍が国際対立を先鋭化させている。ナショナリズム、ポピュリズムで国際間競争がし烈になりその現下で起きた危機に、米中両国の指導者らは対立をあおっている。

・中国政府による言論統制と危機管理に民主主義政府は向かい合えるのか。個人の自由や幸福と、社会全体の幸福の間の緊張に注目する必要がある。後者の実現には専門家の知見への服従が求められ、時には前者と対立する。「お願い」だけでは答えにならない。そこで、専門性を確立して民意に翻弄されない危機対処の法整備を構想しなければならないことになる。

・欧州の自由主義国は非常時の強権発動を民主主義の枠組みの中に位置づける努力をしてきた。日本では欧州諸国のように緊急事態における私権の制約を民主主義と整合させる議論を深めてこなかったし、戦争中の経験を含めて「国」に対する漠とした不信感、強権を行政に委ねることへの警戒心が根強くある。

・日本では、自分と社会を守るために必要な手段を主体的に選べるように促す情報提供や、自粛を支援する政策によって、日本型の体制を効果的に生かす方法を考えるのが得策である。そうした闘いの中で確かな判断を下せる主体的な「個」が確立されると共に、「国民を必ず守ってくれる」という信頼を政府が積み上げられれば、民主主義を強靭化する議論にもつなげられる。

小さな政府の限界と新たなグローバル化の模索

・世界最強の米国が新型コロナの最大の被害国になったのは、政府を弱くし過ぎたからだといわれる。その起点は1980年のレーガン大統領で「経済運営での問題は政府が、解決は市場が」と主張し、そのイデオロギーは市場原理に偏重する「新自由主義」であり、政策は規制緩和・福祉削減・緊縮財政、つまり「小さな政府」であった。この路線が今日まで続いていた。

・疫病・災害・気候変動等の危機から国民を守り、社会全体に奉仕するのは本来、政府であり、無数の利己心を程よく調整し、社会を秩序立てる「見えざる手」は結局、市場には存在せず、大企業ではなく強い政府だと米国の人々は気づいた。政府を強くし市場に適切な規制をかけ、政府・市場・市民社会が均衡関係を保つような資本主義が望ましい。この新たな秩序作りが新たなグローバル化の模索と言われる。

 「社会の在り方の変化、デジタル化」から郷友活動の場の変化を見極め、「グローバル化の脆弱性と新たな模索」から自虐史観を払拭し、「誇りある日本の再生」を目指す国民意識の変換点を認識し、将に郷友活動の昇華を目指す好機の到来と考えることができます。

 本年も、東京郷友連盟は、全集中で郷友理念の達成を目指す努力を続けて参ります。どうか今後とも、絶大なご支援ご協力を賜りますよう切にお願い申し上げる次第です。

「機関誌『わたし達の防衛講座 令和3年』巻頭言」


令和2年度通常総会会長挨拶(要旨)

 昨年、当会は年間を通じて各種事業を着実に実施して、所望の成果を収めることが出来ました。これひとえに会員はじめ関係者(団体)の皆々様のご支援ご協力の賜物と深く感謝申し上げます。本年も「誇りある日本の再生」を目指す実践活動に地道な努力を続けてまいりますので、何分宜しくお願い致します。
 過ぎし1年間、東京郷友連盟は会としての事業を推進し、所期の成果を収めることができたのは誠に慶賀に耐えないところであり、役員はじめ会員皆々様の御尽力に、心から敬意と感謝を表します。

 ご承知の通り、東京郷友連盟は昭和28年東京都在郷軍人会として発足し、今年の11月で創立67周年を迎えます。日本郷友連盟発足以来は同連盟東京都支部として、平成15年からは東京都郷友会として活動を続け、平成28年4月1日に一般社団法人東京郷友連盟として再発足しました。
 この間終始一貫して、「誇りある日本の再生」をその理念・目的として、@国防思想の普及 A英霊の顕彰及び殉職自衛隊員の慰霊 B光栄ある歴史及び伝統の継承に関する実践活動を続け、郷友連盟としての長い歴史と伝統に安んずることなく、国民運動団体として時代に即した効果的な活動を続けるよう日々苦慮しながらも、活動を継続して参りました。

 ご承知の通り、本年1月頃から新型コロナの蔓延により、全国的に厳しい環境下での対応を余儀なくされる日々が続き、社会生活の在り方、円滑な経済活動等に重大な影響を被りました。いわゆるコロナ禍は、未だ完全に収束されたとは言えず今後とも厳しい対応が求められるとの観測が有力です。

 この間、東京郷友連盟の活動も重大な影響を受け、多くの事業の実施が不可能な事態が続いています。今日の通常総会の結節を経て、年度計画の全般的な見直し等今後の会務運営の在り方について真剣に検討しなければなりません。
 またこのコロナ禍により、ようやく具体化する兆しが見え始めていた憲法改正の動きが全く停滞を余儀なくされ、先の見通しが立たない状況に陥っているのは誠に遺憾であります。
 他方、緊急事態での政府の責務や権限の在り方について、民主主義の枠組みの中で国家と国民の関係を如何に律するか等、憲法との関係を含めた検討への関心が高まったことは注目されます。

 今後、戦争放棄、自衛隊の問題をはじめとする憲法改正の動きが、如何に進展するか予断を許さない状況が続くと思われ、その道のりは今後とも極めて険しいと思わざるを得ません。
 また、英霊の顕彰・殉職自衛隊員の慰霊に関わる問題、更には歴史伝統の継承についても解決すべき問題が山積しております。
 このような状況の下、国民の意識を少しでも「あるべき姿」に善導・啓蒙する努力の重要性はますます大きく、郷友連盟の果たすべき役割は重かつ大であると自認します。

 我々は今後とも、3分野での地道な実践活動を愚直に継続して「誇りある日本の再生の実現」をめざし、会員一丸となって努力して参りたいと思います。

令和2年6月20日


「令和の時代を迎えた東京郷友連盟の活動」

明けましておめでとうございます。

年頭にあたり、謹んで上皇陛下と上皇后陛下のご健勝と、天皇皇后両陛下と皇室の弥栄を、切にお祈り申し上げますとともに、わが東京郷友連盟の会員諸兄姉および本誌の読者各位、並びに平素ご支援ご協力をいただいている皆様方にとって、本年が明るい幸せ多い年となることを祈念いたします。

 昨年、当会は年間を通じて各種事業を着実に実施して、所望の成果を収めることが出来ました。これひとえに会員はじめ関係者(団体)の皆々様のご支援ご協力の賜物と深く感謝申し上げます。本年も「誇りある日本の再生」を目指す実践活動に地道な努力を続けてまいりますので、何分宜しくお願い致します。

 さて東京郷友連盟は、サンフランシスコ平和条約が発効して我が国が独立を回復したのに伴い、昭和28年12月「東京都在郷軍人会」として発足、英霊の顕彰、戦没者遺家族の援護、戦犯受刑者の釈放、海外抑留者の帰還促進などの運動を他の友好同志団体と協力しながら推進。30年6月、全国組織としての「日本戦友団体連合会」が結成され、その傘下組織として加盟。
 翌31年10月、同連合会が防衛庁監督下の「社団法人日本郷友連盟」になるに伴い、「日本郷友連盟東京都支部」となった。

その後、首都に位置する郷友会(平成16年「東京都郷友会」に改称)として @国防思想の普及 A英霊の顕彰及び殉職自衛隊員の慰霊 B光栄ある歴史及び伝統の継承に関する実践活動を積極的に推進して「誇りある日本の再生」をめざし長年活動してきた。
 平成24年4月、日本郷友連盟が一般社団法人に移行するに伴い、連携して事業を行う組織(任意団体)となったが、28年4月に法人格を取得し「一般社団法人東京郷友連盟」として再発足した。

このような経緯を経て、東京郷友連盟は昨秋「創立66周年」を迎えた。この機会に連盟が推進する三つの実践活動、そして「誇りある日本の再生」(理念)について、それぞれの意義及び連盟の果たす役割を見直してみたい。

@「国防思想の普及」は国民に国防の必要性を説く運動を意味する。
 安倍政権は、厳しい内外情勢の下で「戦後レジームからの脱却(日本を取り戻す)の推進」を主唱してきた。それは、郷友連盟が長年にわたり主張してきた「国防思想の普及」「英霊の慰霊顕彰」「光栄ある歴史伝統の継承」に関する実践活動を通じて「誇りある日本の再生」をめざす理念と同じ意義であり軌を一にするものであり、大東亜戦争での敗北後7年余にわたる連合国の占領政策によって、日本人の体に染み込まされた自虐史観(東京裁判史観)からの脱却を意味するものであった。
 日本・日本人は侵略戦争を計画的に引き起こしアジア諸国に多大の損害を与えた悪い国・民族であり、その反省と謝罪の責めを負い続けるとする歴史観から抜け出さねばならないというもので、戦後70余年を経て、ようやく日本・日本人が正しい歴史観に立って、物事を考え、進める時代が到来すると期待された。

しかしながら昨今の状況を見るに、「戦後レジームからの脱却」はすっかり色あせ、総裁が憲法改正の笛を吹けども党ぐるみでは踊らない自民党、そして野党の無責任は深刻を極め「日米安保条約の堅持」と言いながら「集団的自衛権の行使容認は憲法違反」と矛盾したことをいい、トランプ米大統領が抱く「アメリカ第一主義」の国家観に見られる、アメリカがもはや自由主義世界の秩序の守護神の地位に背を向けているとの危機意識を持っていない。
 日本はアメリカ軍の庇護下に、経済力と安全は享受できたが、自らの国を自らの手で守ろうとする自立心や気概を喪失してしまったといえる。

このような時代背景を受けて、今こそ国防に関する国民多数の意識や基礎的知識の充実・向上が必要とされる時が到来している。我々郷友連盟が長年続けてきている歴史・防衛講座や自衛隊部隊見学等の防衛現地研修は、それがたとえ第一義的には会員を対象にした活動とはいえ、国民多数にも広く門戸を開いて実施しており、かつ会員を通じた一般国民に対する啓蒙普及が着実に期待できることを考えれば、その重要性と必要性は大きいと信じる。

A「英霊の慰霊顕彰」の原点は、国難に殉じた英霊に篤き礼を持って報いることであり連盟結成時の悲願だった。国がやらなければ郷友連盟でやるということでもあった、その後政府主催による全国戦没者追悼式の開始や「英霊にこたえる会」の主催する靖国神社国家護持運動などを経て、今日では関係団体等の主催する戦没者慰霊奉仕活動や行事に参加することが主たる活動になっている。

一般国民の英霊に対する尊崇の念は依然として低迷しており、本来あるべき姿には程遠いと言わざるを得ない。この間にあって連盟が各種行事に積極的に参加していることは、会員は元より会員の啓蒙教化により、国民の英霊に対する尊崇の念の助長に一定の役割を果たしていると信じる。

今後とも、記憶を風化させることなく慰霊の心を引き継ぐ取り組みを続けることが肝要であり、靖国神社の問題(御親拝・総理参拝等)や殉職自衛隊員慰霊の在り方検討、遺骨収集事業の推進等々、今後とも連盟が果たしうる役割は大きいと言える。

B「歴史伝統の継承助長」は、戦後荒廃した祖国の精神復興のため、我が国の歴史の理解と伝統美風の継続を図ることであり、郷友連盟にとっては譲れない目的であった。その後「紀元節復活運動」や「日の丸運動」となって成果を収めてきたが、現在でもなお各種行事や運動への国民の関心の度合いは必ずしも十分ではなく、連盟が一般国民に呼びかけその参加を促進することは依然として意義がある。

特に令和の御代替わりに際して、国民の天皇・皇室や元号に対する親しみや肯定的な評価が確実に増しているのに比して「天皇・皇室の存在の必要性」に対する理解が一向に深まっていないことに注意を要する。
 更に、歴史認識の問題に起因する諸問題として、隣国等から意図的に採り上げられている戦後積み残された懸案(歴史教科書問題、慰安婦問題、徴用工問題、領土主権問題等)の解決は今なお道半ばであり、今後とも連盟が国民運動団体として、これ等の問題解決、改善に寄与する必要性と役割には大きなものがある。

ところで、世間には数多くの防衛(国防)関係団体、英霊顕彰団体、国民運動団体が存在するが、この三分野をまとめて一体化し、目的としている団体は東京郷友連盟以外にはほとんどない。これは連盟が元々「我が国の世直し」を目的とした運動団体であったことを意味するとともに、それなりの成果も収め得たが未だにその目的を達成していない、今後とも「世直し運動」を続ける必要がある団体と認識することが出来る。このことこそが連盟の「存在理由」である。

かつて連盟は旧軍関係者の団体であり、暗黙の了解の下、その存在と情熱が組織を支え動かしたわけだが、現在は退職自衛官の団体ではなく、広く一般社会から志を同じくする(目的・理念に賛同する)老若男女を募って会員としている団体であり、ここに組織の「独自性」があり、また「限界」を感じるところでもある。それは、「世直し運動」と言いながら、会員の知識・能力の向上を主体とした活動に終始し、実効性ある具体的なアクションに乏しい恨みがある。

今我々は、会勢の拡充と財務基盤の維持・強化を図りつつ、「継続は力なり」を信条として会員個々の実力を涵養する愚直な努力を続けていくことが大切だと考える。
 このためには、絶えず会員相互の切磋琢磨を図り自己研鑽に努め、就中リーダーシップを採る者は熱き情熱と固い信念そして若々しさを失ってはならない。いやしくも「老人のサロン」化に陥ることなく、原点である「ボランティアは独りではできない」を忘れずに、サステイナブル(持続可能性あり)にいきたいものである。

なお、この機関誌「わたし達の防衛講座」は、東京郷友連盟の理念を認識し会員の識能向上と相互の意思疎通を図るとともに、連盟の存在を内外にアピールするため、「国防」、「英霊」、「歴史及び伝統」の三分野で年間に実施した実践活動の記録・内容及び会員の主張等を紹介するものであり、平成10年から毎年発行を続け、「令和2年版」で23回目を迎えた。

当時、長年にわたり続けられていた「防衛講座」の成果普及を目的として冊子を発行したことから、「わたし達の防衛講座=日本は安全か=」をタイトルとし現在に至っている。また、何時の頃からか部内では、「わた防」という呼び方が定着している。
 この間、大変厳しい環境の中、発行に必要な経費は会員及び関係者の年賀広告への協賛により賄い、また会員自らの原稿収集、編集・校正による発行を継続できたことは、誠に快事であり東京郷友連盟の宝と自負している。

 どうか今後とも、絶大なご支援ご協力を切にお願い申し上げる次第です。

「機関誌『わたし達の防衛講座 令和2年』巻頭言」


「自衛隊を軍隊にするために」

明けましておめでとうございます。

年頭にあたり、謹んで皇室のご繁栄をお慶び申し上げますとともに、わが東京郷友連盟の会員諸兄姉および本誌の読者各位、並びに平素ご支援ご協力をいただいている皆様方にとって、本年が明るい幸せ多い年となることを祈念いたします。

 昨年、当会は年間を通じて各種事業を着実に実施して、所望の成果を収めることが出来ました。これひとえに会員はじめ関係者(団体)の皆々様の御支援ご協力の賜物と深く感謝申し上げます。本年も「誇りある日本の再生」を目指す実践活動に地道な努力を続けてまいりますので、何分宜しくお願い致します。

 憲法九条改正の構想は、自民党原案を基にした改正案が国会発議される段階を迎えている。この改正案は現在の九条に自衛隊を明示する条項を付け加えるものであり、独立国家固有の自衛権の存在と自衛力の保有については現在の憲法解釈のままとして、それを担う組織として自衛隊を明示するものであり、自衛隊は憲法違反であるとの謗りを払拭するものとしての意義は理解し得る。しかしながら、直接的に自衛隊を軍隊とするものではないことに失望感を禁じ得ない。

自衛隊は国家行政組織法に基づき設置される行政機関とされている。しかしながら、自衛隊は国際法上明確に軍隊としての扱いを受けるし、自衛隊法もまたそれを前提としている。自衛隊は国際法上の「交戦資格」を有し、自衛官は「戦闘員」とみなされる。即ち自衛隊は法的には「国内的には行政機関だが、国際的には軍隊である」といえる。

基本的に行政機関たる警察作用と防衛作用を比較検討して見れば、警察作用は、「国家の治安の維持のために人民に対して命令し、必要に応じて実力を行使する作用」であり、国内法が適用されるとともにその実力の行使は「警察比例の原則」に支配される。

他方、「防衛作用」は、「国家が外国からの侵略に対し自らの安全を守るために実力を行使する作用」であり、国際法で定める禁止事項を除く、無制限の実力行使が可能である。 

また、それぞれを規制する法律の特徴を見てみると、警察法は国内法でありその対象は国民の権利義務であることから、「行政が国民の権利義務を侵害する場合には、必ず国民議会の制定した法律に従うべきこと」や「法律によって一定の要件のもとに一定の行為をするように授権されていなければ、行政はこの領域では自分のイニシアティブで行動することができない」等、行政法の一般原則の縛りを受ける。従ってその規定内容は、「してよいこと」を規定するものとなる。

これに対し防衛法では、対象が外国等であること、また想定される状況が流動的で予測が困難であることから、武力紛争法や国際人道法で禁止されていること以外はなんでもできるのが基本であり、「してはならないこと」を規定するものとなる。

しかしながら、我が国の防衛法制においては、警察作用である治安出動等だけでなく、防衛作用(防衛出動等)についても「してよいこと」を規定するものとなっている。即ち軍事的組織であるにもかかわらず、それを規制する法律は国民を相手にすることを想定している警察法的なものである。 

このことにより、現状及び将来共に「法律の縛りによって任務の遂行に支障をきたす事態」が生起する可能性がある。即ち、本来は政令等で決定すべき防衛作用を法律で規定していることから、法律の数量が多くまたそれを成立させるために非常な手間がかかること、自衛隊が行政機関であることにより、本来であれば適用されない国内法が適用され、新たに法律を制定したりする度に、それに対する適用除外を設けなければならないこと等がある。

そもそも、自衛隊の任務は「我が国の平和と独立を守る」ことにあり、そのためには「想定外」は絶対に許されないのであって、ある段階の事態までは法律で対処できたとしても法律で規定されていない事態に対処できなければ意味がない。

また、自衛隊の防衛作用を法律で規定すべきか、政令等で規定すべきかについては、防衛法制の主たる目的は「切れ目のない防衛体制」を確立することであることから、緊急性・専門性において内閣に劣る国会は、防衛作用の内容までは詳しく立ち入らず、結果責任を内閣に問えばよい。国会によるシビリアンコントロールは、民主的に組織された内閣を通じて十分なはずである。

 これらの問題点を解決するには、自衛隊の扱いを「行政機関」から「軍隊」に変更すればよいわけであり、そのためには@憲法改正により自衛隊を「軍隊」と位置付ける、もしくはA解釈の変更により自衛隊を「軍隊」と位置付けることであり、今次改正案は@を放棄しているので、Aによる目的達成の可能性を検討する必要がある。

 法律の専門家によれば、議員内閣制の三権分立を説明するとき、行政権を定義することが難しいので、憲法に規定されている行政権を全国家作用から司法権と立法権を除いた残部と捉える「行政控除説」がある。一方、内閣と行政各部の性質の違いに着目し、行政事務の多くは直接には行政各部が行うものであり、内閣はそれら行政各部の上にあって、法律が誠実に執行されるよう配慮し、全体を統括すべき地位にあると解する「執政権説」があるという。

 それは「行政権には高度の統治作用が内在しており、予算・外交・防衛等の国政全般に及ばざるをえない」とし、「法律の執行」を「行政各部」つまり各省庁等が、「内閣」の「高度の統治作用」(「執政権」)のもとに行うものとしている。

この際、内閣の職務は国政の大綱・施政方針の決定、行政運営体制の確立、公共目的の設定と優先順位の決定等の他、国家的レベルの危機管理等などを自ら決定し、各行政機関に実行せしめたり見直しを求めたりするものとされる。このような解釈の下、今次改憲により憲法九条に自衛隊を明示することと相まって、防衛作用を「執政権」に読み込むことが可能となり、その結果、行政法の諸原則の適用対象は行政各部の「法律の執行」のみで、防衛作用は行政権全般から分離した「執政権」に帰属し、行政法の諸原則の対象から離脱し得ると解することができるようになる。

国会と内閣の関係については、国民の権利義務に関する規律でない限り、必ずしも憲法を直接執行する他の法形式の存在が憲法上完全に排除されるわけではない。「この憲法の規定を実施するため」の「政令」も、ありうるのであって、防衛作用については、それに関する規律を政令で定めることが許される。ただし、国会は「国権の最高機関」であるから、何時でもそれを法律によって規律し得る。つまり、憲法解釈を変更しかつこれまで防衛作用について規定していた法律の条文を削除するだけで、自衛隊を軍隊と位置付けることが十分可能である。 

今次改憲発議が国民の反応、受け止め方等を周到に見通した上での絶妙な「迂回戦術」に基づくものであり、最終的には「自衛隊という名の軍隊」を整備することに帰結し得る可能性がある。

依って、改憲案が国民投票を経て無事成立するよう微力を尽くすことが当面の使命であり、会員各位には理解を頂きご支援ご協力を賜りたくお願いする次第である。

「機関誌『わたし達の防衛講座 平成31年』巻頭言」


「自分の国は自分で守る」国民意識の確立を!

(一社)東京郷友連盟会長   橋 義 洋

明けましておめでとうございます。
 平成30年の年頭にあたり、謹んで皇室のご繁栄をお慶び申し上げますとともに、わが東京郷友連盟の会員諸兄姉および本誌の読者各位、並びに平素ご支援ご協力をいただいている皆様方にとって、本年が明るい幸せ多い年となることを祈念いたします。
 平成29年、当会は年間を通じて各種事業を着実に実施して、所望の成果を収めることが出来ました。これひとえに会員はじめ関係者(団体)の皆々様の御支援ご協力の賜物と深く感謝申し上げます。本年も「誇りある日本の再生」を目指す実践活動に地道な努力を続けてまいりますので、何分宜しくお願い致します。

 さて昨年5月の安倍総理の憲法改正についての提言は、憲法九条の一項、二項は残したままで新しく三項を設けて、そこに現在ある自衛隊の存在を明記するというものであり、「戦後レジームからの脱却の最大ポイントは、憲法九条二項の改正ではなかったのか、これを残してどうするのだ」と大変驚きショックを受けたのは、私のみならず多くの人々も同様であったと思います。
 総理の言い方は、「政治家は結論を出さなければならない、国民投票で敗北したらいかなる事態になるのか」であり、与党各党の支持が得られなければ国会発議が出来ない、二項を残すことにより与党を満足させ、自衛隊を明記することでその他保守系の多くの人々を満足させようとの苦渋の選択であろうことが伺えます。

 この提言の問題点は、憲法九条において戦力の不保持及び交戦権否認の二項と、自衛隊を明記する三項の整合性が難しい点にあります。芦田修正案(「前項の目的を達するため」を「前項の目的=侵略戦争はしない」として、自衛戦争のための軍隊は持てるという解釈)でいけば、名前は自衛隊でも中身は軍隊ということになるので総理の提言でも通ります。
 しかしながら、政府は芦田修正案の解釈を採用していません。従って政府の見解では「我が国に対する急迫不正の侵略があること」「これを排除するために他に適当な手段がないこと」「必要最小限度の実力行使に止まること」の三条件を満たさないと武力行使はできない。安保法制の閣議決定で少し範囲が広がりましたが限定的であることに変わりなく、自衛隊を憲法に明記しても芦田修正案を採用しない場合には、二項を改正しない限り自衛隊は軍隊ではなく交戦権も持たない(現状の自衛隊と何も変わらない)ことになります。

 提言の狙いは、改正の動きが実質上止まっている状況を打破して憲法論議を活発化することにあり、改憲勢力の中核としての与党各党の一致結束を考えれば、現実的にはこの方法しかなく、あとは三項を追加していく論議(文言検討)の過程で二項を事実上否定していくことだといわれます(例えば、九条一項が規定している「正義と秩序を基調とする国際平和」は実現していないとの認識を前提として、それが実現するまでの条件付きで、二項の施行を停止し必要最小限の戦力・軍隊としての自衛隊を保有することを三項として明記する)。
 現状を放置しておいて憲法改正は一歩も進まない。70年間一歩も進まない憲法改正を先ずは動かさなければならない(大きな壁を崩す蟻の一穴にする)。憲法審査会等での、活発な論議が期待出来る共通の場を設けるためとみられるこの提言は、憲法改正、就中九条改正への総理の固い信念に基づくものであり、ある意味狡猾且つ画期的なものとして評価に値します。

 しかしながら、従来の自民党あるいは安倍総理の発言等から認識されていた憲法改正論に立ち戻って考える時、今次提言発表の経緯や保守系論壇等の無批判的な追随の動きに、些かの疑問、問題点さらにはある種の奇異感、不安感を禁じ得ません。「自衛隊の存在を憲法に明記する」ということが何のためなのか、意図的に不明確にされているようにも思えます(その存在が憲法違反との謗りを受けているのを廃するためといいますが、現状でも憲法解釈上認められており、たとえ災害派遣等での評価が主とはいえ世論調査によれば92・2%の国民が支持しており、改めて、無理に明記する必要があるのでしょうか)。

 危惧すべき点は、論議が進んだ結果、「現状の国民意識では憲法解釈を大きく変える変更は許容されないので、取り敢えず三項に自衛隊を加筆するにとどめるべきだ」との結論が出て、軍隊でなく交戦権を持たない自衛隊(現行自衛隊と同じ)が、そのまま三項に明記されてしまう恐れはないのか。その結果、自衛隊の存在の問題については憲法上払しょくされることにはなるものの、自衛隊は予見し得る将来共に現在の自衛隊のままでおかれることになります(そして、その後に「蟻の一穴」を拡大するためには、新たに相当な時日と精力を必要とすることは想像に難くありません)。

 他方、狙い通り論議活性化の中で、九条二項を事実上否定する論議(文言検討)がなされ、自衛隊は自衛隊という名前の軍隊として明記されることになれば、それで大目的は達成されるわけであり、それが出来るならば与党各党や国会改憲勢力の共通認識として「二項の改正案」をはじめから提議できるよう努力することが筋ではないでしょうか。そしてそれは将に「自分の国は自分で守る(世論調査によれば、僅かに15・6%、世界の主要国中ダントツ最低)、その中核として軍隊を保持する」との主権者たる国民の意識が確立されることを意味するものであり、そのため国民へ「自衛隊を軍隊にする必要があり、交戦権を持たせることが国の防衛に必要なことだ」との意識の啓蒙こそが喫緊の課題であると考えます。それが不可能ならば憲法改正は未だ機が熟していないと言わざるを得ません。

 憲法改正は国会が発議し国民投票で決せられるものですが、そもそも国会の発議が国民投票で敗北する(恐れがある)様な発議をする国会は、主権者たる国民の意志を体しているとは言えません。「何故、国は軍隊を保持する必要があるのか」「何故、自衛隊ではダメなのか」といった本質的論議もなされないままに国会で発議され、国民投票を行って良いものでしょうか。改正の最も大切なのは改正のプロセスの中において、国民のコンセンサスを醸成することにあると考えます。

 何れにしましても、今後、与党内及び両院の憲法審査会等で改正論議が活発化し、必要かつ充分な時間をかけて進展する様を注視していくとともに、北朝鮮の核・ミサイル問題の緊迫化等を巡って国民の防衛に対する関心が高まっているこの時期を「ピンチをチャンスに」して、国民の「自分の国は自分で守る意識の確立」を期さなければなりません。

 我々東京郷友連盟も、予てより連盟の使命(活動目的)として「国防思想の普及」を掲げ日々実践活動を続けてきましたが、今こそ憲法改正を焦点に更なる活動を強化して参りたい。特効的な手段、方策は必ずしもありませんが、一人一人の会員が基本的事項を充分に咀嚼したうえで、それぞれが家族、親戚、友人、知人等「人の輪」を通じて、例えば10人、20人に語り共感を得る活動を続けることにより、微力ながらも応分の役割を果たし得るものと信じて、日々精進していこうではありませんか。

 最後に、お陰様で機関誌「わたし達の防衛講座」は創刊21年目を迎えました、是非ご一読下さい。発行に当たった関係各位のご尽力、並びにご支援ご協力いただいた皆々様に心から感謝申し上げますとともに、今後とも変わりないご愛顧をお願い申し上げる次第です。

「機関誌『私たちの防衛講座 平成30年』巻頭言」



「国防思想の普及」と「教育勅語」

(平成29年6月2日 (一社)東京郷友連盟 通常総会)
会長 橋 義洋

昨年4月1日に一般社団法人東京郷友連盟として再発足し2年目を迎えました。一般社団法人としての初年度は、従来と変わらない地道な実践活動を進めて着実な成果を収めることが出来ました。会員各位の真摯な努力に敬意と感謝の意を表するとともに関係友好団体等のご支援ご協力に深甚なる感謝を申し上げます。
 ご承知のとおり、郷友連盟の活動目的は、「国防思想の普及、英霊の顕彰及び殉職自衛隊員の慰霊、光栄ある歴史及び伝統の継承の3本柱の実践活動により誇りある日本の再生をめざす」にあります。

我々の活動の具体的かつ究極の目標は「憲法改正」にあり、就中9条を改正して国防軍を設立することにあると考えて来ましたが、昨年来衆参両院で改憲に前向きの勢力が3分の2以上を占め「この70年間で最高の政治状況」にあるにも拘わらず、改正への動きは停滞したままの状況で推移し憂慮に耐えないところでした。
 ところが、先般(5月3日)安倍総理が「憲法を改正し〔憲法9条1項(戦争放棄)2項(戦力の不保持)を維持した上で、憲法に規定のない自衛隊に関する条文を追加する〕2020年の施行を目指す。」旨具体的な目標を表明したことにより、俄かに改正論議が活性化する兆しが見えて来たことは誠に喜ばしいことと思います。

何れにせよ、「国防思想の普及活動」に関していえば、連盟創設以来60有余年を経て自衛隊に対する国民の理解度・信頼感は見違えるように変わってきました。最近の政府機関の世論調査結果によれは自衛隊を支持する世論は92.2%に上ります。私などの若い時代(防衛大に入校した昭和30年代半ば)等に比べればまさに隔世の感があります。

しかしながら、「国を守るために戦うか?」の問いに対する「YES」は、わずかに15.6%に過ぎなく、世界主要36ヶ国中でダントツの最低(他国は少なくとも50〜60%)に位置しています。
 これを要するに、「自分の国は自分で守る」との意識を高めることが、現下の「国防思想の普及活動」の焦点であると思います。

 先般来の北朝鮮のミサイル脅威に対する我が国の対応、国民の反応をみれば、有事における米国との共同対処要領・在韓邦人保護、弾道ミサイル迎撃能力の向上・敵基地攻撃能力の保持等対応能力の向上については勿論のこと、国民保護の観点から、警報の発令伝達、住民避難、防護要領、訓練の実施等国民の生き延びる力・守り抜く力に関して、従来にない真剣な論議が芽生えてきたことは画期的なことと言えましょう。
 未だ具体性や有効性に欠ける嫌いはありますが、これを契機に今後国民の意識の中に「自分の国は自分で守る」との覚悟が確立される可能性を見た思いがします。

 これ等に先立ち、凡そ「国防意識の普及」には直接結びつくとは思われないような市井の事案に関連して話題を呼んだものがありました。それは「教育勅語」についての論議です。
 教育勅語(教育に関する勅語)は、明治時代に天皇の名のもとに立てられた教育方針ですが、戦前の軍国主義・全体主義のイメージを持つものと誤解している国民が少なくありません。それは教育勅語が起草され発布された経緯について、十分に理解していないことが要因と思われます。

教育勅語が起草され発布された(明治23年10月)経緯については、東京郷友連盟の機関誌「わたし達の防衛講座」平成29年版に掲載した安元百合子顧問執筆の「教育勅語・修身から道徳教育へ」の論文を、読んでいただければ十分に理解できることですが、
当時明治政府は不平等条約の解消を目指して西洋の文化を取り入れる欧化政策を行っており、その間、明治5年に国民すべてが学校教育を受けることを目的とした「学制」が発布され、科学的な知識や技術の習得に重点を置いた教育が行われるようになり、子供達がそれらの知識を持たない親を軽蔑したり親の職業を継ぐことを嫌ったりし、日本の歴史や文化が軽視され欧米を理想とし、日本人の良さ(徳性)が失われようとしていました。
 そのような状況に危機感を持ち、日本人らしい生き方の指針を確立し、心の教育を充実しいていくために考えられたのが教育勅語でした。

このように教育勅語の発布の目的は軍国主義を目指したものではなく、またその内容を見れば軍国主義云々の指摘は誤りであるといえます。

教育勅語は3段から成り、その第1段では、教育の淵源(根本)として「伝統的な国民性と国柄のすばらしさ」(国体の精華(せいか))を説き、
第2段で、国民として大切な12の徳目(孝行、友愛、夫婦の和、朋友の信、謙遜、博愛、修学修養、智能啓発、徳器成就、公益
(せい)()、遵法、義勇)が示され、
第3段では、日本人として受け継いでいくべき徳目は、皇室の子孫も一般の臣民も共に守るべきものであること、それは
(いにしえ)も今も変わりがなく、かつ国の内外を問わず、何処でも行われるものであることを謳っています。

日本古来の伝統的道徳を基盤にした教育勅語は、西欧文明の名のもとで流入した雑多な道徳観と伝統的な道徳観の間で混迷していた明治の人々が、まさに渇望していたものでありました。
 小学校生徒の時から「教育勅語」を暗唱した国民の多くは、父祖伝来の徳目を素直に受け入れたのです。そうして、日本固有の伝統的道徳は再生され、国民道徳として定着したのです。
 国民道徳の規範となった教育勅語は、国民意識を高めて国家の発展に大きく寄与しました。

ところが敗戦後、占領軍は日本の弱体化・無力化施策のカギとして教育勅語の廃棄を要求し、昭和23年6月国会で「教育勅語の失効」が決議されました。かくして国民道徳の衰退は占領軍の期待通りに進展していったのです。

歴史と伝統に根差した国民道徳の復活がなければ、「誇りある日本の再生」はないと確信するとともに、今日人々の価値観が多様化し、社会秩序や規範が失われている状況のなかで、徳育の充実に注がれた明治の先人の英知に倣い、教育勅語を現代に合った形で見直しし実践活動に活用していくことが必要だと考えます(因みに、東京郷友連盟は、平成20年版以降の機関誌「私たちの防衛講座」に、「郷友の絆」として本文記事の間隙スペース等を活用して「教育勅語」の掲載を毎年続けています)。

教育勅語の内容で、軍国主義・全体主義の戦前の体制復古につながるとして、最も典型的な非難を浴びているのは「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ」の文言です。
 しかしながら国の防衛のため一命を捧げることは、今日でも世界中の国々が実践している事であり普遍的なことであり、けっして軍国主義ではありません。
 皇室を国家に置き換えて「国家危急の際には勇気を奮って公のために行動し、いつまでも永遠に継承されていくべきこの日本国を守り支えて行こう」と解し、国民が日頃の生活から何事にも当事者意識や自立心を持ち、他への依存に頼らない生き方をしようと努力すること、それが「自分の国は自分たちで守る」という意識の確立に通ずると確信します。

このように昨今の事案や論議を活用して時宜に適した我々の実践活動をより効果的に進めて、郷友連盟の目的の一つである「国防思想の普及」を「自分の国は自分で守る」という意識の確立まで深化させることにより、憲法改正の実現に微力ながらも寄与したいと念ずるところです。



憲法改正の焦点―国民主権と国体―

会長 橋 義洋

 明けましておめでとうございます。

 平成29年の年頭にあたり、謹んで皇室のご繁栄をお慶び申し上げますとともに、わが東京郷友連盟の会員諸兄姉および本誌の読者各位、並びに平素ご支援ご協力をいただいている皆様方にとって、本年が明るい幸せ多い年となることを祈念いたします。

 平成28年は、当会にとって歴史的な意義ある一年でありました。永年の懸案でありました法人化の事業を成就させ、東京都郷友会から一般社団法人東京郷友連盟として再発足することが出来ました。これひとえに会員はじめ関係者(団体)の皆々様の御支援ご協力の賜物と深く感謝申し上げます。また法人化に伴い皆様に醵金をお願いしましたところ、多くの方々からご支援を賜り、この場をお借りして心から感謝申し上げます。本年も「誇りある日本の再生」を目指す実践活動に地道な努力を続けてまいりますので、何分宜しくお願い致します。

 さて、昨年夏の参議院選挙で予想通り自民党が圧勝し、憲法改正に肯定的な勢力が衆参の三分の二を超え、戦後初めて憲法改正発議の土台が整いました。それにしては憲法改正の動きは鈍く、最大の問題である憲法九条の改正についても及び腰な発言ばかりが目につきます。巷間、改正項目として緊急事態条項をはじめ、地方自治、衆議院と参議院の関係、環境権等々が挙げられていますが、何れも本質的な事項には触れずにパッチワーク的に切り貼りするような話ばかりで、憲法はどうあるべきか、どういう国を目指すのかについての真剣な議論は一向になされておりません。
 このような状況にあって、私は東京郷友連盟の会員が、わが国憲法の根本となるべき「国体」「国民主権」そして「象徴天皇」について正しい認識を確立し、それを広く国民に普及する努力にチャレンジすることが極めて重要であると確信し、敢えて所信の一端を披歴し参考に供したいと思います。

わが国の政体と「国体」(国柄、国家の心・精神的核心)

 昭和20年の敗戦によって、我が国の政体(政治体制・政治の在り方)は変わったが国体は変わっていないのです。

 敗戦により天皇主権から国民主権に移行したのだから、戦後の日本は戦前の日本と同一の国家ではない。また、明治維新では徳川幕府が滅び王政が復古したのだから、明治維新前後では同一の国家ではないとの見方もあるようです。しかしながら、このような政体の変更はそれ以前にも幾度も起きています。政体は時代と共に変化するが、国体(天皇が君臨している事実)は日本史を通じて変化していない。ヤマト王権成立以来、国体は護持されているのです。

ポツダム宣言受諾は、天皇の国家統治の大権を変更しないことを条件としたものであり(天皇は終戦の詔書の中で「国体ヲを護持シ得テ」とした)、憲法は旧憲法の改正規定に則って改正され法定連続性が認められ、勿論天皇の交代もありませんでした。開戦の詔書(昭和16年12月8日)、終戦の詔書(20年8月14日)、新日本建設の詔書(21年1月1日)の三つの詔書は連続した一体のものであり、日本国民自身が戦前と戦後を通じて一貫して変わらない我が国の歩みを確認するために必要なものであります。即ち、開戦の詔書の「自存自衛のため」とは「国体の護持のため」であり、終戦の詔書の「神州不滅を信じ」とは「国体が護持された日本は滅びない」ということであり、新日本建設の詔書の「明治天皇の五箇条の御誓文の誓いを新たにする」とは、「全国民が明治天皇の掲げられた理想を目指して生活する」ということを示しており、戦前戦後にわたる不変の「国体」を明らかにしているものです。

 現憲法は、日本古来の国家統治の理念を根底から覆し、米国模倣の民主制と妄想の平和主義を強要して制定させられたのであり、その結果、伝統的精神文化基盤の破壊と日本人の劣化が進められてきました。我が国の伝統的な国家統治の実体「国体」は、天皇が祭祀と統治を総覧する「君主国」であり、国家運営の政治理念は「君臣一体の姿」を旨とするものであり、皇室と国民との関係は民族的特性を反映した国民道徳として歴史の中で育まれてきました。それが我が国独自の統治力の源泉であり「国体」の権威なのです。

国民主権論の危険性

現行憲法前文では、国民主権を「人類普遍の原理」としていますが、そもそも、「国民主権」の概念は16世紀のキリスト教プロテスタント運動の過程で、勃興する君主に対しローマ法王の権威を維持するために生まれたものであり、後にこれがブルジョアジーの政治参画の論拠とされた。つまり特定の領域(欧州)で、特定の政治目的のために誕生した概念であり「普遍性などは皆無」であり、また「国民主権が行動と進歩の原理として創造的な価値を持っていた時代はすでに去った」と言われます。

 最初に国民主権学説を唱えたピュカナンは、「どこの国にも固有の法律と固有の国家組織がある。自国の国家形態を他の国に押し付けようとするのは何という不遜なわざであろうか」と述べています。また“社会学の父” スペンサー(英国)は、大日本帝国憲法制定時に「日本の憲法及び之に付随する法律にして日本の歴史習慣と同一の精神及び性質を有するに非ざれば、その憲法及び法律を実施するにあたり、将来非常の困難を生じ、終には憲法政治の目的を達すること能わざるに至らん」と忠告しています。これは「憲法は欧米諸国各々、其の歴史、習慣より成立せるもの」であり、歴史、伝統に基づかない憲法は遵法の精神が育たないということなのです。

 また、国民主権を巡っては、「主権者国民とは、抽象的・歴史的な概念としての国民である」とする論と、「究極的には人民投票における多数者意思である」とするとの論争があります。現在、わが国の改憲勢力が率先して、国体破壊につながる後者の主権論を押し進めようとしている気配があるのは、危険な兆候と言わざるを得ません。日本国は現在生存する国民だけのものではなく、日本文化を今日まで育んで来た数千年の先祖から、更にこれを引き継ぐ子孫に至る命の連鎖が日本国を造り、皇室はその中心的存在であり日本文化の基盤であることを忘れてはいけないと思います。

現憲法は、「国民主権(主権在民)下での象徴天皇制」で、日本文化の根源の伝統的統治理念を否定しようとしましたが、それは実体のない観念論であり、日本の文化の中で空文化していると云えましょう。国民主権の内容は、国民の参政権と国会の立法権の規定で済むことであり、「我が国は立憲君主国であり、天皇は日本国民統合の象徴である」ことを国民に認識させることが日本人のアイデンティティの再生に必須だと思います。

象徴天皇

 現憲法の施行により、天皇主権から国民主権に移行し、天皇は統治権・統帥権を持った存在から象徴になったと理解され、「天皇はもはや象徴にすぎない」とも言われます。しかしながら、現憲法にいう主権の存する国民というのは、天皇主権か国民主権かという意味ではなく、主権をもった独立の歴史共同体としての国民、日本民族の意味であり、象徴の本質は、天皇を通じて日本の姿を見ることが出来るということにあるのです。天皇は古代より日本国の象徴、日本国民統合の象徴であり続けたのであり、現憲法の施行によって象徴になったわけではないのです。

 わかりやすく云えば、「目に見えない一つの国民の姿」(主権者)を、目に見える形で現すのが天皇ということです。多数意見が主権者の意思ということではなく、多数意見が国会の決議を経て主権者の意思となるのであり、主権者の意思は一つしかないのです。主権者の意思を確定する過程で役割を果たすのが一人ひとりの国民(目に見える国民)であり、したがって、目に見える国民は主権者ではなく、主権によって統治される国民ということになります。「国民主権」という場合の国民とは、国家意思の主体であり、「目に見えない一つの国民の姿」であって、目に見える国民のことをさすのではありません。国会議員は、統治される国民の代表者であり、主権者たる国民を目に見えるかたちで表すのが天皇なのです。それが象徴天皇の本質なのです。

何れにしましても、前途多難な憲法改正(自主憲法の制定)の途と思われますが、本来在るべき日本の再構築(誇りある日本の再生)を目指して、組織を挙げての各種施策はもとより、会員一人一人がきめ細かな献身的な努力を積み重ね、日々頑張りぬいていきたいと思います。

最後に、お陰様で機関誌「わたし達の防衛講座」は創刊20周年を迎えましたので、「発行20年の歩み」と関係者の皆様からお寄せいただいた「発行20年によせて」を取り纏めて「機関誌創刊20年」として収録しておりますので是非ご覧下さい。これまでの関係各位のご支援ご協力に心から感謝申し上げますとともに、今後とも変わりなくご愛顧をお願い申し上げる次第です。

「機関紙『私たちの防衛講座 平成29年 機関誌創刊20年記念特集号』巻頭言」